再びテーマはBotoxだ。Botoxは筋の過剰緊張を抑制することがわかっている。その作用原理は神経終末と筋肉との接合部において神経終末から分泌されるアセチルコリンの放出の抑制だ。1970年代後半から顔面のしわとり(筋肉の過剰運動がシワの原因の場合)に応用されて以来、主に医科において頭頸部に限らず全身の筋肉の過剰緊張の抑制に応用されてきた。しかし、ブラキシズムにおける咬筋や側頭筋といった咀嚼筋群の過剰緊張に対するBotoxの効果に関する歯科領域からの報告は意外に少なかったのだが、最近、2つの論文でその報告がなされている(1、2)。
いずれの報告においても、咬筋内へのボツリヌス毒素の注入は、咬筋の過剰緊張に伴う筋膜痛の軽減と咬筋の収縮力の軽減を明らかに認めたとしている。
最後に、ブラキシズムを伴う顎関節症に対するBotoxの効果に関する中山の意見を述べておこう。論文で見る限り、たしかに、Botoxは咬筋や側頭筋の過剰緊張に有効のようだ。ブラキシズムは無意識にこれらの筋肉の過剰緊張を引き起こす現象だから、ブラキシズムを伴う顎関節症にはある程度有効かもしれない。ただ、顎関節症の真の原因が不明である現在、Botoxはスプリント療法や社会心理療法、薬物療法などの伝統的な治療法にとって代わる第一選択にはなり得ないだろう。
というのはブラキシズムの原因はいまだに明らかになっておらず、顎関節症の原因の相当の部分にブラキシズムが関与しているらしいことが推察されている現在、顎関節症の真の治療はブラキシズムの制御になるはずで、この点で、Botoxは一時的に筋緊張を軽減する対症療法にとどまる。また、Botoxの顎関節症に対する効果発現に2~3カ月必要である事実は、筋の緊張を取り除くだけで顎関節症が一気に治癒するものでないことを示唆している。一般に、Botoxをしわ取りなどに用いた場合、その効果発現は2~3日から1週間程度で現れるとされているのに対し、顎関節症の場合には2~3か月必要である事実は何を物語るのだろう。もしかすると、顎関節症におけるBotoxの効果は、美容外科におけるシワ取りのように単純に筋肉の弛緩だけによるものでない可能性があるかもしれない。というのは、他の多くの慢性疼痛を伴う疾患(腰痛などはその典型)と同様、顎関節症の痛みは「痛みの中枢化centralization」が関与していることがわかってきているからだ。痛みの中枢化とは簡単に言えば、”局所から痛みの原因が消えているのに、中枢神経に痛みの記憶が残っていて頑固に痛みを感じ続ける状態”のことで、顎関節症のあるタイプのものはこういったメカニズムが関与していると考えられている。ブラキシズムは心理的ストレスと密接に関連していることが明らかである現在、ほとんどの顎関節症に心理的ストレスが関与していることは想像に難くない。したがって、Botoxの適応は、現在の顎関節症の病態に患者の心理状態がどの程度関与しているか判断したうえでの慎重な適応が必要だろう。
参考文献
2)Jadhao VA, Lokhande N, Habbu SG, Sewane S, Dongare S, Goyal N.Efficacy of botulinum toxin in treating myofascial pain and occlusal force characteristics of masticatory muscles in bruxism. Indian J Dent Res. 2017 Sep-Oct;28(5):493-497. doi: 10.4103/ijdr.IJDR_125_17.