昨日、PMTCを担当するものは歯科衛生士に限らないことを書いた。歯科医師が行って一向にかまわない。技術的には、もともと歯科医師はこだわって技術を追求する性向が備わっているので、徹底的に技術を追求すると歯科医師の方がよりマニアックなまでの専門的な技術域まで到達するかもしれない。それにもかかわらず、歯科衛生士がPMTCを担当するメリットがあるに違いない。今日は、歯科医師ではなく、歯科衛生士がPMTCを担当するメリットについて考えたい。
「PMTC2」の著者 内山茂先生は、その著書内の「コラム」において大変興味深いことを書いておられる。「五木寛之氏の受け売りですが、”慈悲”という言葉は仏教用語だそうで、”慈”とは大いなる父親の愛情のようなもの。”さあ、そんなにくよくよしないで立ち上がって、いっしょにあの山の頂を目指して歩いて行こう、頑張れ”と激励してくれる、厳しいなかにも慈(いつく)しみのある愛情でしょうか。一方、”悲”というものは、思わず知らず体の奥からもれてくる、深いため息、たとえば悲しみのどん底に打ちひしがれている人を見たときや、悲嘆の極みにいる人のそばに自分がいるときに、「ああ、人間というものは何と不条理なものだろうか」と深いため息をつく。それは深い人間の連帯感から発するもので、母親の愛情のようなもの。”慈”は知恵、”悲”は情感と言い換えることもできて、この両方があってはじめて”慈悲”になるというのです。ところが、現代社会は、えてして”慈”のもつ知性や合理性のほうが大切にされて、”悲”の部分、つまり涙とか悲しみをプリミティブなものとして馬鹿にする傾向があるようです。—–中略—–"悲"を軽んずる傾向は、私たち歯科の分野でも大いに当てはまります。たとえば、診療室に超・重症な歯周病の患者さんが来院したとします。—–中略—–まずはTBI、動機づけがうまくいったら何本かの歯はホープレスだから抜歯、スケーリング、ルートプレーニング、初期治療、再評価、外科処置、そして欠損補綴へ。「—-さん、これからも頑張ろうね」。一見、歯科医師として当然の行為ですが、実は仕事に追われて、慣れ切って、患者さんといっしょに涙する余裕なんかないのです。でも悲しいかな、それが宿命。—–中略—–考えてみてください、なぜ歯科衛生士学校に”戴帽式”があるのか?私の思い込みかもしれませんが、ナースキャップをかぶるということは、つまり看護の精神(ナーシングスピリット)を持つということではないでしょうか?歯科における看護とは?それは手遅れの患者さんに、精神的な援助と病気に立ち向かうための気力を提供することです。この場合の手遅れとは、ホープレス→抜歯を意味しています。—–中略—–”治療”が患者さんのもっている病気(疾患)に対する行為であるとしたら、”看護”は病気を持っている人(患者さん)が対照です。”歯科医療における看護”とは聞きなれない言葉ですが、これからの歯科衛生士さんたちには、是非、この心をもってもらいたいと思っています。」
PMTCを歯科衛生士が担当するメリットとは?の答えがここにある。歯科医師は、たとえPMTCを完璧に行うテクニックは身につけているとしても、患者と一緒に泣くということは出来ない。ところが歯科衛生士は患者の不幸を、患者と共に嘆き、泣くことが出来る。この違いなのだ。もちろん、実際に泣いてしまうことは出来ないが、患者さんの心の痛みを一緒に感じて共感することは歯科衛生士だからこそ表に出して表現することが可能だ。歯科医師は、患者の前では冷静に行動することを職業的に訓練されている。だから、歯科衛生士が患者と交わすトークは、世間話に終始する美容サロンのそれとは一線を画すのだ。歯科衛生士のトークには患者の痛みを感じることが出来るハートがあるのである。そこらへんが、歯科衛生士がケアを担当するメリットだろう。
参考文献:内山 茂、波多野映子著. 歯界展望MOOK PMTC2. 医歯薬出版.東京.2003.